歴史
1954年 | 河東煥(ハ・ドンファン、1930年7月29日 - )が、ソウル市麻浦区で『河東煥自動車製作所』(トラック・バス架装工場)を創立。朝鮮戦争停戦後の復興で盛業になる。 |
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1963年 | 東方自動車工業を吸収合併し、河東煥自動車工業株式会社として改組。UDトラックス(旧:日産ディーゼル)製リアエンジンバスのノックダウン生産を手掛け、1966年頃からブルネイ、南ベトナム等へ輸出開始。 |
1967年 | 新進自動車(後のGM大宇)と業務提携し、乗用車市場にも参入。 |
1974年 | アメリカン・モーターズ (AMC) と提携し、在韓米軍・韓国軍向けジープのライセンス生産に着手。 |
1976年 | 消防車など特殊車両の生産を開始。 |
1977年 | 東亞自動車に社名変更。 |
1979年 | 主生産工場を京畿道平澤市に移転。 |
1983年 | KH-7, CJ-7 型ジープや、乗用車コランドを生産していた釜山市の炬火を吸収合併し、業務を拡大した。 |
1986年 | 双竜グループに買収され、現社名に変更。 |
1993年 | 『イノベーション宣言』の下、ムッソー(1993年)、イスタナ(1995年)、新型コランド(1996年)、チェアマン (1997年)と、矢継ぎ早に新車を投入したが、過剰投資とグループ内部の対立から、経営状態が急速に悪化した。 |
1997年 | 乗用車部門と大型車両部門を分離。前者は大宇グループに経営権が譲渡され、大宇自動車の一部門になった結果、2000年に大宇グループが経営破綻するまで、一時的に双竜ブランドが消滅する。労働争議も多発し、1999年にはロックアウトも敢行された。 その後しばらくメインバンクの管理下に置かれていたが、2004年に中国の上海汽車 (SAIC) が株式の49%を取得し、傘下に収めた。しかし主力の北米向けSUV輸出の急激な縮小から、経営が再び悪化。 |
2009年1月9日 | 自主再建を断念し、ソウル中央地裁に法定管理を申請。民主労働党、進歩新党の支援を受けた労組側約500名は、政府に対して直接交渉と従業員の地位保全等を求め5月29日から平澤工場に立てこもったが、8月4日に機動隊が突入し強制排除された。 |
2010年11月23日 | インドの自動車メーカーマヒンドラ&マヒンドラ社が、5225億ウォンで双竜自動車を買収する契約を締結。これによりマヒンドラは双竜自動車の株式の70%を保有することになった 。双竜自動車には債務があり、売却代金だけでは債務返済を賄えないが、不足分の約700億ウォンについて債権団は、2011年1月に債務免除に応じるか否かを決定する予定。 |
双竜自動車
種類 | 有限会社 |
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略称 | 双竜、双竜自、サンヨン |
本社所在地 | 韓国 ソウル市中区苧洞 |
設立 | 1954年 |
業種 | 輸送用機器 |
事業内容 | 自動車 |
代表者 | Hyung-Tak Choi CEO |
従業員数 | 7699人 |
主要株主 | マヒンドラ 70% |